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水色メランコリー

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ホラー映画について考える

映画

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私はホラー映画と呼ばれるジャンルの作品が好きだ。どのくらい好きかというと、「どんな映画が好きなの?」と訊かれたときに、開口一番ホラーって言うと何だか危ない人に見られるというリスクを回避したくて「う〜ん、あまり選り好みしないけど、強いて言うならサスペンスっていうか、ホラーみたいなそんな感じの雰囲気の…」と、もごもごと何を言ってるかはっきり聞こえず怪訝な顔をされるくらいホラーが好きである。

 

それは良いとして、そもそも人は何故怖いものを見たり聞いたりするのが好きなのだろうか?怖いもの見たさという言葉もあるくらいで、大抵の人は「怖い話があるんだけど…聞きたい?」と言われれば、よほど怖いものが苦手か、あるいはトイレを我慢していて限界に近い人以外は耳を傾けるはずだ。

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笑ってはいけない状況だと余計に笑ってしまいそうになる事はないだろうか?ダウンタウンの毎年年末恒例の某番組ではこれを利用している。開いてはダメだと言われると余計に開きたくなるパンドラの箱や鶴の恩返しにしても同じことが言える。アダムとイヴが食べたリンゴだってそうだ。この「してはいけない」と言われれば言われるほどしたくなる反応のことを"カリギュラ効果"というそうだ。ここに一つヒントがありそうである。

http://www.doctor-sumai.com/colum/002c2-081.html

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因みに、勉強しなさいと言われるとしたくなくなるし(実は常にしたくない)、掃除しなさいと言われるとしたくなくなる(実は常にしたくない)。これは"ブーメラン効果"と言うらしい。それを逆手に取ったのがカリギュラ効果とも言える。

http://health.goo.ne.jp/mental/yougo/032.html

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要するに、「観ると怖い」や「観ると死ぬ」、「観ると人生において非常に大事な瞬間に放屁してしまう」などの触れ文句が「観たい」という欲求を助長するのだ。好奇心もその一つと言えるだろう。恐怖とは自分が知らないものへのある感覚であれば、知りたいと思う気持ちが働くのも当然ではないだろうか。

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また、私が考えるに、ことホラー映画に関して言えば、人はホラー映画を観る上で無意識的に感じている「非日常との接触」、それも"自分の身は安全と分かった上での非日常との接触"を求めてホラー映画を観るのではないかと考える。極端に言えば動物園でライオンを眺めるようなものである。画面の中の世界がリアルになってしまったとするなら、余程狂った状況が好きな人以外は楽しめないはずだ。お化け屋敷だって作り物だと分かっているから入れる訳で(筆者は怖いもの好きのくせに入らない…いや入れない)、それがリアルに生き霊やら地縛霊やら沢山いますよ、と謳った屋敷に入りたがるのは奇特な体験をした事がない若者か稲川淳二か、若しくは稲川淳二に似た人くらいのものである。

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人はスクリーンという1枚の壁を挟むことで、その向こうに映される世界を"虚構"と捉える。スクリーンが観客を守る塀になり、画面の中の出来事は作り物であると認識するのである。

因みに、これを逆に利用しているのがウディ・アレンの名作「アニー・ホール」である。この作品ではスクリーン上の虚構であるはずのアレンが観客に問いかけたり言葉をかけたりする。これを"第4の壁を壊す"と言う(同じような手法にミヒャエル・ハネケの「ファニー・ゲーム」)。

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また、そのスクリーンという"壁"を最大限取っ払おうとする動きもある。よりリアルな体験をする事で観客を引き込む手法だ。

画面を通して擬似的体験が味わえる映画(ex.「トゥモローワールド」)もある。POV(point of view、主観の事)形式の映画(ex.「REC」)や、3Dゴーグルを用いて立体的に"非日常との接触"に触れられる映画(ex.「ゼロ・グラヴィティ」)もある。最終的にはVR(ヴァーチャル・リアリティ)なんてものも最近登場し、その進化を挙げれば枚挙に暇がない。

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ホラー映画とVRとの化学反応は確かに面白いと思う。ただ、VRに関してはスクリーンという垣根を取っ払ってしまう事への畏怖、踏み込んではいけない領域に辿り着いてしまった感もなくはない。勿論メリット(例えば生まれつき障害を持っていて歩けない人がVRを用いて歩く事を体感するなど)もあるが、普通の人であれば現実と虚構の境目が分からなくなってしまえば人間の根本のところで何か異常をきたしてしまうのではないかと不安で、夜も7時間しか眠れない。

 

話が逸れつつあるが、上記の点の他にも私がホラー映画を好きな理由がある。

例えばジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」という金字塔的作品がある。この映画は所謂"ゾンビ"というジャンルを確立させた映画として余りにも有名であるけれど、ただそれだけではなく、当時まだ戦時中であったベトナム戦争を痛烈に批判する社会風刺を併せ持つ。「ゾンビ (原題: Dawn of the Dead)」では、主人公たちは楽園を求めて大型ショッピングセンターに籠城しようとする。しかし段々と飽きてしまう。マーケット化されてしまった人間の姿を炙り出す作品であった。ロメロの映画において本当に怖いのはゾンビではなく人間の方であり、その醜さや卑しさが浮き彫りになる。

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このようにしてホラー映画の中はその裏にしっかりとしたメッセージがあり、かつその時代の"恐怖"を映し出す鏡でもあるのだ。直接的にメッセージを伝えるのでは芸がないし、そういったものをシナリオや画面に落とし込んでいくところに魅力を感じるのである。

 

一方、ホラー映画のバイブルとも言えるトビー・フーパー監督の「悪魔のいけにえ」も好きな映画の一つ。こちらは風刺等というより、より「恐怖」を追求している作品だ。一切の同情を排除し、唐突に理不尽が襲ってくる映像が待ち受ける。映像の粗さも相まって恐怖感は非常に高い。カルト的な怖さ(理解が出来ないと恐怖を感じるものだ)もあり、昔の作品ながら未だに色褪せない。

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ホラー映画には上記の「悪魔のいけにえ」に代表されるような、お決まりのパターンが幾つか存在する。

 

⒈若い男女が1台の車に複数で乗る

⒉大抵キャンプのような人気のない隔離された場所へ行く

⒊道中のガソリンスタンドで奇妙な話を聞く

⒋その話をする人が気味悪く、皆話を聞こうとしない

⒌目的地に着く前に異常発生(道中で拾ったヒッチハイカーが死ぬ、車がパンクするなど)

⒍カップルが情事中に殺人鬼に遭遇

⒎生き残るのは処女の女性

⒏「惨劇はまだ終わらない…」的な感じのラスト

 

他にも挙げればキリがないが、この辺は大体当てはまる映画が多い。導入部分となる⒈では皆マリファナを楽しんだりと青少年ではないパターンが殆んどである。それは⒍にも表れている。ヒッピームーブメントから来る性に寛容な若者たちへのアンチテーゼだろうか。⒎もその理由だろう。やはりというか、悪い奴らはロクな死に方をしないぞ、だから真面目に生きなさいというメッセージがあるのかもしれない。

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定番化されすぎてパロディにもしやすいので、コメディ色の強い作品も多い。「スパイダーマン」で名を馳せたサム・ライミ監督の処女作「死霊のはらわた」はホラー映画の体をしていながら本質は寧ろコメディであった。映画評論家の町山智浩氏曰く、アメリカではホラー映画でよく笑いが起きるという。日本ではあり得ない事であり(勿論文化の違いはあると思うが)、もし笑いが起きようものなら「自分には理解しがたいところで笑っている!何処かネジが外れた人に違いない、同じ空間に居たくない」と、別の恐怖感が生まれてくる。

サイモン・ペグ/ニック・フロストの「ショーン・オブ・ザ・デッド」なんかまさにパロディの宝庫。それでいて芸術としての作品に仕上げている点が素晴らしい映画である。

他にも「キャビン」という映画があるが、こちらもホラー映画通にとっては涎が出てくる事必至の内容となっている。パロディの元ネタを探して映画を探していくのが寧ろ楽しいくらいだ。

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上記の通り筆者がホラー映画を好きな要素は挙げればキリがないが、所謂グロテスクな表現はあまり好きではない。効果的に使用されるのはまだ良い(刹那的に見せて逆に余韻を残したりなど)が、劇中でしょっちゅう見せられては堪ったものではない。"恐怖"とグロテスクは似て非なるものである。それを一緒くたにしてある節がある映画も数多くあるため、その点上記の「悪魔のいけにえ」はグロテスクな描写は皆無と言って良いほどない。繰り返されるのはチェーンソーの音と女性が叫ぶ映像。これだけでも十分なほどの怖さがある。

 

低予算性もホラー映画が好きな理由の一つだ。「13日の金曜日」や「悪魔のいけにえ」などは無名の役者を用いる事でコストを抑えているが、こうした作品の方でもビッグバジェットムービーと呼ばれるようなハリウッドの作品よりも面白い事は多々ある。お金がなければよりクリエイティブになる。その環境が面白い作品を生み出す鍵になるのである。