philia
これから全ての出来事を忘れにいくけど
生まれ変わりはしないかもしれない
これから二人だけで秒針を抜け出したいな
誰も気付けないように
最近、気分の浮き沈みが極端だ。
タロットカードの"恋人"の正位置のような気分もあれば、床に落ちたものを拾うこともできないくらい何もやる気が起こらないときもある。
この頭の中を支配しているもの、それは分かっている。
でも、今の僕は手や脚、喉すら奪われている。
いつかの水色の世界の為に、心だけはちゃんと大事に取っておくから、待っていてよ。
信じていてよ。
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録画した番組を見る余裕すら無くて、容量不足が近づいて見ずに消す、というよく分からない行為をもう数週間続けている。
かといって悲しいかと言えばそうじゃない。テレビを見る以上に有意義な時間があるということでもある。
テレビ、特にバラエティの多くは限られた範囲の中で作られ消費されていくコンテンツで、今はそこに面白さを見出せずにいる。
映画やドラマ、漫才、コントなどは「作品」として楽しめるのだけれど、そうではないものに時間を費やすのが少し勿体なくなってしまった。
テレビでバラエティを見る、というのは、個人的に例えるならゲームセンターで遊ぶ感覚に近い。消費されていくものに対し、バラエティは時間、ゲームセンターはお金を対価として支払う。
反対に、映画やドラマを観たり音楽を聴いたりするのはボードゲームで遊ぶ感覚に非常に良く似ている。とても充実感があって、心が満たされる。これは「作品に触れる」という行為から来るものだろうか?
勿論、どちらが良いとは言えないし、色んな意見があって当然だと思うけれど、つまり僕は有限の時間を、ボードゲームや映画、音楽に費やしたいということです。
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涼しくなってきた空気に「やあ」と声をかけたら、少しあたたかな気持ちになったよ。
寒くなってきたね、嬉しいね。
ぼくらはそれで楽しい。