水色メランコリー

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素敵なものを求めて彷徨う。 ぬるゾンビ/ぬるゲーマー/ぬるロマンチスト

「デッド・ドント・ダイ」

敬愛するジム・ジャームッシュ監督の最新作は、なんとゾンビ映画!これは劇場の大きなスクリーンで観ずして語れないと、意気揚々と映画館へ行ってきました。最近1人で映画に行くのも慣れてきたなあ

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土曜日の朝でこんな感じ。コロナウイルスの影響だから仕方ないのだけれど、パンフレット買うときに店員のお姉さんに聞いたら少しずつはお客さんも戻ってきているという。

それにしては「デッド・ドント・ダイ」の上映は僕を含め6人くらいしかいなかった…けど、わざわざ土曜日の10:40にゾンビ映画を観に行くってのは特定の人に限られるよなあ

勿論マスク着用、検温(遠距離でもすぐに体温が測れる優れもの!)のうえ入場。

 

感想はと言うと…というか、ジャームッシュ×ゾンビって面白くない訳ないですよね。一言で言えば「大好き」でした。

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アメリカのセンターヴィルという平和な田舎町が舞台。警察署長のクリフ(ビル・マーレイ)と巡査のロニー・ピーターソン(アダム・ドライバー。「パターソン」に掛けてある)が住民の通報を受けパトロールしていると、日照時間の変化やスマホの異常などちょっとした異変に気付いていく。住民の周りでも飼っているペットがいなくなるなど不思議なことが起こって、ニュースなどでは企業の南極での水圧破砕工事が地球の自転軸に影響を与えているという報道が。そのうち死者が地中から目を覚まし、町に1軒しかないダイナーで経営者と店員が内臓を食い荒らされた遺体が見つかり…というのがあらすじ。

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けどストーリーなんてあってないようなもので、この「デッド・ドント・ダイ」は言うなればジャームッシュ・ファミリーの同窓会的コント、そして"映画"という枠組みを面白おかしく解体し、ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロ監督の代表作にして金字塔「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」への愛とオマージュが沢山詰まった、そして彼と同じようにゾンビを利用した現代社会への問題提起と社会風刺を兼ね備えた素晴らしい作品でした。

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正直、ジャームッシュの映画は世に言う"ネタバレ"なんて関係ないと思う。寧ろ本当の映画の面白さはそこにあって、彼の映画はとりとめのない会話劇や何処を切り取ってもポスターに出来そうなスタイリッシュな構図が特徴。物語の起伏は大きくないが、だからこそ何度観ても飽きない。なので本編の流れにも触れることを予めご了承ください。

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彼を慕うジャームッシュ・ファミリーの中でも懐かしいメンバーが出演している。主演のクリフ役を務めるビル・マーレイ(「コーヒー・アンド・シガレッツ」「ブロークン・フラワーズ」「リミッツ・オブ・コントロール」)、リアル酔いどれ詩人のトム・ウェイツ(「ダウン・バイ・ロー」「ミステリー・トレイン」「コーヒー・アンド・シガレッツ」)、そして僕の大好きなスティーヴ・ブシェミ(「ミステリー・トレイン」「デッドマン」「コーヒー・アンド・シガレッツ」)!イギーポップやRZAも良い(?)役どころで華を添えている。

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他にも4度目のタッグで最早名コンビとなったティルダ・スウィントン、「ブラウン・バニー」で身体を張ったクロエ・セヴィニー、「スリー・ビルボード」や「アンチヴァイラル」での演技が光ったケレイブ・ランドリー・ジョーンズ、若者に人気な歌手のセレーナ・ゴメスなど、多種多様なキャストが名を連ねている。ハリウッドに背を向けた監督でも人望が厚いってかっくいいね。

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まあ普通の感覚で映画を観てると拍子抜けする。冒頭でもラジオから流れてきた主題歌にビル・マーレイが「あれ、なんか聞いたことあるなあ、なんでだ?」というと、アダム・ドライバーが「テーマ曲だからですよ」と表情一つ変えず返答するシーンで、ああなるほど、と。後半なんか、「俺は自分の出演する部分の台本しか貰ってないんだ!ジャームッシュめ」と普通の映画なら破綻するような台詞でも平気で持ってくる。メタ・フィクションを前面に押し出しているのは、そこが重要ではないから。

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ロメロが1979年に撮った「ドーン・オブ・ザ・デッド(邦題:ゾンビ)」はショッピングモールに群がるゾンビと生存者の人間性を浮き彫りにし、大量消費主義に警鐘を鳴らした傑作だったけど、この「デッド・ドント・ダイ」で描かれるゾンビはスマホを握りwi-fiを求め、コーヒーを求め、キャンディを求め、ファッションを求め彷徨う。40年経って風刺の対象は更に拍車が掛かった状態だと言える。

そもそも、映画内で語られるように、ゾンビは"物資主義の遺物"。何かの物に依存している私たちは皆ゾンビなのだ。ジャームッシュのインタビューの言葉を借りれば、ゾンビは「お互いの思いやりや意識を失うことのメタファー」で、それは外側からやって来るのではなく腐敗した人間社会の内側から生まれるから怖いのです。

だから、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」以降無数のゾンビ映画が誕生しホラーファンの議論の対象になった訳だけど、ロメロが目指した映画を真っ直ぐに継承できたのはジャームッシュだけなのではないでしょうか。もしロメロが存命だったなら、この「デッド・ドント・ダイ」を観て間違いなく興奮したことでしょう!

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だから僕は"ゾンビ"という存在がとても好きです。稚拙な文章ですが、単なるモンスターとしてのアイコンじゃないって事が分かってくれたでしょうか?

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僕は何を求めるゾンビなのでしょう

6/14

ダウンタウンなうで、菅田将暉氏の回を観た

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本当にふたりのことが好きみたいで、緊張して言葉も出ないし、手紙読みながらめちゃくちゃ泣くし…

でも、凄く分かる。観ながら泣きました。

人物像も、畏怖の念も、何より笑いというものに真っ直ぐなダウンタウンは孤高の存在で唯一無二だと思うし、「ダウンタウン以前ダウンタウン以降」という言葉も過言じゃないと思う。

菅田氏のことはあまり知らないしドラマも観たことがないんだけど、素敵な心を持ったとても"良い人"なんだなあと。

そういう人を応援していきたいよ。

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昨日ジム・ジャームッシュの「デッド・ドント・ダイ」を観てきたので感想を纏めよう

Soul

spotifyを彷徨っていて出逢ったthe teskey brothersがとても良いんだ。

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オーストラリアのバンドらしい。この「forever you and me」に惹かれてしまった。

 

"it could be forever, a lifetime spent together.

it could be, forever you and me."

 

ソウルを少しずつ、Bobby Oroza、Durand Jones & the Indicationsを聴いてみている。

Sam Cookeトータス松本氏の魂だけど、上記の「forever you and me」は彼の曲の雰囲気に近い。

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ウルフルズといえば、好きな曲は沢山あるけれど「ぼくのもの」という曲が好き。

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"なんでもいいや ふたりでいたい

ただそれだけ

何食べよう 何を見よう

何をしよう とりあえず出かけよう

君を放しはしないよ"

 

そしてアウトロの繰り返される

"何やかんや言って

何やかんやあって

何べんも泣いて

何年も経って

何ちゅーか

何ちゅーの

何十年もずっとずっとずっとふたり…"

 

心で繋がってる、これはとても素敵なことで、まさにこの歌詞のような関係でいられたらなあって、それだけです。

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この前眺めた花の美しさが頭から離れない。

お笑いのはなし

いつの頃からかお笑いが好きだ。それは僕の根底にあるし、常に勉強にもなっていると思う。

笑いのメカニズムは様々あると思うけれど、基本的な形は上下の「格差」にある。

例えば人や物を弄ることで笑いをとる手法。これは演者が上に立つパターンで、毒舌や世間を皮肉るケースが多く、漫才でも"ツッコミ"がこの役割を担っている。

対して自分を下げる手法。これは漫才でいう"ボケ"。かの有名なチャップリンもそうだが、特徴としては弱者的立場で弄られたり滑稽な言動が分かりやすい。

つまり知らないうちに、バラエティ番組を観ながら僕らは演者を下に見たり自分が皮肉られたりすることで笑っているのだ。

まあ多くの人はそこまで考えてお笑いを見ないだろうし、そう考えだすと人によっては純粋に笑えなくなったりすると本末転倒なので僕が論じるのは野暮かもしれない。

要はお笑いが好きだということです。

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中学生の頃から「爆笑オンエアバトル」や「エンタの神様」、バラエティ番組では「はねるのトびら」なんかがあった世代。

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その中でも同県出身のくりぃむしちゅーに惹かれ、彼らに憧れて出身校を受験して、彼らのオールナイトニッポンを3年間ずっと聴き続けたのはかけがえのない青春。まるで2時間の漫才を聴いているようなラジオで、2人とも仲が良いんだなあと思うとそれだけで幸せだった。オールナイトニッポンが終わると知らされたのは高校3年生の時で、どうしようもない喪失感に襲われたのは良い思い出。

MDに録音して大切に保管して、イヤホンつけてニヤニヤしながら通学してた頃が懐かしい。

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漫才ではアンタッチャブルが好きでした。山崎の突拍子もないボケとまくし立てる柴田のツッコミは見てて気持ちが良いし、何より本当に楽しそうに漫才をしている2人を観るのがとても好きだった。だから柴田の問題があっての10年間は山崎だけテレビが出ていて寂しかったんだけど、有田の図らいで「全力!脱力タイムズ」でサプライズで漫才をする流れになったのはとてもびっくりしたし、多分観ながら泣いていたと思う。

因みに柴田は競馬好き。くりぃむしちゅーとも深い関わりのあるコンビだし、好きにならない理由がない。

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M-1で感動したのは、やっぱり霜降り明星。正直2018年のM-1で初めてちゃんと観たくらいお笑いに触れていなかった時期だったけど、彼らのテンポの良い漫才とセンス、会場の盛り上がり、そして優勝したときの2人の涙で一気にファンになった。2人とも"良い人"というのが伝わってきて、楽しそうに漫才をしている姿が輝かしく見えた。粗品も競馬が好きだし、せいやの幅広いエンタメの知識と表現力も素晴らしい。年齢がそこまで変わらない(3年しか違わないがそれでも多少のジェネレーションギャップがあるのは驚きだ)し、2人の趣味や経験との共通点も多い。オールナイトニッポン0は毎週欠かさず聴いている。

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こうして書いていると気付くことがあるが、僕は①仲が良い②楽しそうにお笑いをやっている③人の良さが伝わる、というコンビや芸人が好きなようだ。これは多分お笑いに限らない。仲の悪いバンドの音楽はあまり聴きたくはないし、やっぱり熱意を持って撮影した映画が観たい。

そこにあるものは何だろう。この感覚は興味深いし、暫く俯瞰的に眺めてみることにする。

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なんだか書きながら涙が出そうになってきたのでこのくらいで。

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因みに最近のオススメお笑いコンビはラランド。センスが光る良いコンビだと思う。

エプソムカップ

安田記念が終わって、エプソムカップがやってくるといよいよ夏競馬の到来、といった感じがする。函館も始まるしね!

月末の宝塚記念を終えれば本格的に夏競馬。因みに夏競馬到来の定義は競馬ファンの永遠のテーマ。な気がする。

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そんなエプソムカップは◎ピースワンパラディから攻めたい。これまで複勝圏内を外しておらず底が見えないし、今日東京がどこまで雨が降るかだけど重馬場も苦にしなさそう。ジャングルポケット産駒で東京も合いそうだ。

対抗には◯マイネルファンロン。重馬場ならステイゴールドは持ってこいだし、先行タイプで三浦なら期待できる。▲エメラルファイトはスプリングS優勝の時からずっと追いかけている馬。前走メイSでも良い走りをしていたから、人気がないようであれば妙味がある。

過去優勝している△サトノアーサーと△レイエンダは連下まで。雨で重馬場なら不発もあっていい。

まあパドックでコンディションを確認してからだな…

さよならのあとで

可愛がってもらっている先輩がいる。慕ってくれる後輩がいる。それはとても素敵なことで、僕はなんて恵まれているんだろうと思う。

僕は分かりやすいと言われた。これまでもそうした言葉をもらうことが多かった。嘘がつけない性分で、それで損をしたこともあればそれが良さなんだと背中を押されたこともある。

そんな僕を「かわいいね」と言ってそばにいてくれる人がいれば、それより幸せなことはこの世にはない。

もしそんな人が現れたなら、僕はこの身を捧げて愛を誓おう。

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自分でも裏表のない人間だと思う。だから無性に、裏の顔が見える人に腹が立つ。ここで言う"裏の顔"とは、自分のことだけしか考えられない心理だ。でもそれは同時に人間らしさでもあって、否定することはできない。人間みんな自分が可愛いから仕方がない。ただ自分とは肌が合わないなと距離を置くだけだ。

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僕は性善説で生きている。弟は性悪説で生きているという。同じ兄弟でまるきり考えが異なるのも面白い。

だから、みんな清らかな心を持って生まれていると思っている。道を踏み外したり、非行に走ったりする人は何かの因果関係があってのことなんだと考える。だから、自分に理解できない行動をする人に対してとても悲しい気持ちになる。

でもそれは僕のエゴで、世の中には色んな人がいる。みんな違ってみんな良い。それが人間という生き物だから。だから争いは無くならない。不条理も無くならないし、希望が無残にも砕けてしまうこともある。

だからこそ、そんな世界だからこそ、心の通じ合える人に出逢えたときの感動は格別なのだ。

だから、お世話になっている人、自分を大事に思ってくれる人を蔑ろにしてはいけない。誠心誠意で感謝を伝える必要があるんだ。

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"ルキンフォー どこまでも

つづくデコボコの道をずっと歩いていこう

初めてだらけの時から時へと

くぐり抜けた心 君に繋げたい

届きそうな気がしてる"

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「ああ、この人は自分にはない世界が見えているんだなあ」と思ったときの喜びは、何と表現するのが正しいのだろう。

僕はこの気持ちを恋と呼びたい。

愛とは

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誰かに愛されていたい。誰かに好きだと伝えたい。笑われても良いけれど、あたたかな家庭を築いて穏やかに平凡に暮らしたい。

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僕は何でもない普通の家庭の長男として生を受けた。父は寡黙で気分屋。母は人情味があって少しお節介。これまで沢山の失敗もしてきたし沢山叱られてきたけれど、30歳になって両親のあたたかさに改めて、漸く気付けた。

そんな僕だから親孝行はしたいし、可愛がられてきた親戚の人たちにもお返しがしたい。休みの日にはたまに顔でも出して近況を報告したい。「また来なんよ」と言われて手を振りたい。その隣には妻と手を繋ぐ小さな子ども。こんな想像をするのは、全然おかしなことじゃないと思う。

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これまで30年、後悔がないかと言われれば嘘になる。こうすれば良かったああすれば良かったなんてことは沢山ある。ただ、過ごした日々を無駄だとは思わない。思い出は思い出のままで、幸せだった時間はそのまま僕の記憶に残り続けて、いつしか色褪せて、僕がこの命を終える時に一緒になくなっていけば良い。

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お世話になっている先輩が「死ぬ時に『幸せな人生だったなあ』と思えるように生きなくてはならない。お前はそうあるべきだ」と言ってくれた言葉がずっと心にある。

過去を振り返ればキリがないし、前に進めない。一度しかない人生で、これから素敵な景色が待っていると信じて、今までの反省を全部持って、楽しみながら寄り道しながら歩いていきたいと思っている。そのとき隣に愛すべき人がいて、一緒に笑ってくれるならそれはとても幸せなことだろう。

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心で繋がりたい、とここ最近ずっと思っている。

別に会話が大事だとも思わない。優しい言葉が必要だとも思っていない。時に喧嘩になって、互いの嫌な部分が見えたとしても、やっぱり心で繋がっている。どこに転がったとしても、どうしても気に掛けてしまう。酷い言葉を言ったとしても、次の日に「おはよう」って気まずそうに言いながらいつしか笑い合っている。家族ってそんなものじゃないだろうか。簡単に言えば"情"のような、"くされ縁"のような。

夫婦は家族の中で唯一血の繋がっていないふたり。それを補填するのが心、だと僕は思っている。

"綺麗でも僕らの仕事は汚いから"

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"we are infinite!"

そう思っていた。

僕は次の夢を見る。