photograph
話の流れで、子どもの頃の写真が見たくてアルバムを開いた。
何度も見たことがあるアルバムだし、確かに開くのは久しぶりだったのだけれど、今まで感じなかった視点にハッと気付かされた。
それは、"写真を撮ったひとの気持ち"。
アルバムに沢山ならぶ僕と弟の写真、ふたりは屈託のない表情で笑っていて、たまに出てくる父と母。きっと写真を撮っているのはどちらかだろうし、親戚かもしれない。
それらを見たときに、その写真たちには撮る側も撮られる側も負の感情は一切ないはずだし、可愛い子どもの一瞬をどうにか切り取っておけないかというそれ以上ない愛情で満たされているはずだ、と今更ながら感じたのです。
要は、両親の愛を20年以上経って改めて感じたということ。
アルバムを開いてそんなことを思うと、真っ先に出てきたのは"ごめんね"という感情だった。
沢山の迷惑を掛けた。勿論楽しいことや嬉しいことも沢山あったと思うけれど、悲しい思いも失望もさせたと思う。それはこれからもそうかもしれないし、子どもというのはそういうもので世の永遠のテーマかもしれないが、写真に写る小さな僕らを抱えて幸せそうに笑う父と母を見て、単純に"これ以上悲しませたくない"と感じたのです。
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この歳になるとなかなか恥ずかしくて本音で喋ったりできないのだけど、親孝行しないとなあ…。
写真は良いものだねって、どれだけ想いが通じたか分からないけど、話をしたのを忘れないよ。
写真を撮ろう。
たくさんの愛をもって。
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'cause everybody wants some hope
something they can barely know
and though my heart will break
there's more that i can take
i can never let it go
it's in the photograph
it's in the photograph
it's in the photograph of love
だって誰しも希望を求めてる
それは分かりにくいものだけど
悲しみに心が塞いでも
きっと大丈夫
希望は捨てたりしないんだ
それは写真の中に
それは写真の中に
愛で溢れた写真の中にあるのさ